ウメ子の子育て&映像翻訳日記

会社員として働きながら、夢だった映像翻訳の仕事を副業でスタート。2児の母。育児、仕事、趣味についてのいろいろ。

私にとっての9月26日

こんにちは、ウメ子です。
最近、いろいろと考える時間をもつ余裕があって、自分の心とよく向き合っています。気持ちを書き出す、吐き出す練習のために、このブログでも少しずつ思ったことを綴ってみたいと思います。
自分のための記録ですが、よろしければお付き合いください^^;

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さて、9月26日は私にとって、とても大切な人たちの誕生日です。
今日は、この日に生まれた大切な人たちへの思いを綴ってみます。

9月26日は、3人の友人と、3歳(もうすぐ4歳)の娘の誕生日。
こんなにこの日が誕生日の人と縁があるなんて、きっと私にとって特別な日なんだろうなと思います。

3人の友人のうちの1人は、私にとって特別な人。
中高一貫校で出会ったAちゃんです。
Aは私の大親友で、学生時代はハリー・ポッターや映画に一緒に夢中になり、試写会や映画館に行っては大興奮していました。
社会人になってからもAとはよく会い、一緒に遊んだり、仕事や恋愛の相談をしたり、くだらないことをして大笑いしたりしていました。
私の留学先に遊びに来てくれたり、一緒に海外旅行もよく行ったり、楽しい思い出がたくさんです。

ところが、8年前のある日、Aは突然、自ら命を絶ちました。
1人暮らししていた自宅のマンションの屋上からの、飛び降りでした。
ショックというか…言葉ではうまく表現できないような悲しみを感じました。

当時、Aはとある男性とお付き合いしていて、いろいろと悩みを抱えていました。
亡くなる1週間ほど前にも、その彼氏がらみの相談を受けていました。
あと、これは勝手な想像ですが、Aは両親が別居していて、家族関係での悩みも前々からいろいろとありそうでした。

彼氏との悩みが深すぎたのかな…
あんな彼氏、早く別れればよかったのに… Aに近づくなよ…
やっぱり家族の関係で悩んでいたのかな…
私も含め、周りからの支えが足りなかったのかな…
なんで死んでしまう前にもっと頼ってくれなかったんだろう…
私じゃどうにもできなかったのかな… 助けられなかったのかな…
飛び降りなんて、怖かっただろうな、痛かっただろうな…
苦しかっただろうな、どれだけ心が痛かったんだろうな…
もっと頻繁に会って話していればよかった… 

いろいろな考えが頭をよぎりました。

Aが亡くなった知らせを受けたのは、私が大阪に出張していた時。
今でもはっきり、出張先のホテルの部屋で私の親から電話を受けた時のことを覚えています。
どうしようもない無力感と、信じられない、信じたくない気持ち。
とにかくどうしたらよいのか分からない、なんとも表現しがたい気持ちでした。

今でもいろいろな考えが頭をよぎりますが、あれから早くも8年が経ち、「亡き人の気持ちはその人にしか分からない。きっと魔がさしてしまったんだ」と割り切る自分もいます。

いずれにせよ、彼女はもうこの世にいなくて、どんなに願っても彼女には会えません。
彼女は思い出の中に生きていて、できるのは、思い浮かべることだけです。

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Aが亡くなってから何年か経ち、私はAにも会ってもらっていた今の夫と結婚して、その数年後に1人目の子どもを妊娠しました。

予定日は9月18日。「もしかしたらAと同じ9月26日に生まれてくるかも…!」なんて少しドキドキしていました。

出産前に友人Sとランチしに行ったとき、「Aと同じ26日に生まれるかもね」と話していたことをよく覚えています。
その話をした直後、座っていたお店の席の近くで「ガタッ」と物音がして、「今のAの音!?いるんじゃない!??」と友人と話したものです。

まさかとは思っていましたが、その後、予定日になっても子どもは生まれる気配もなく、9月25日に入院。26日に陣痛促進剤を打って娘を出産しました。
Aと同じ誕生日に娘が生まれてくるなんて、本当に私の思い込みだけれど、まるでAが生まれ変わって私のところに来てくれたような気持ちになりました。

命に感謝して、この日に感謝して、娘を大事に育てていこうと強く強く思いました。

今、娘はAとは全然違う性格に育っていると思います。
もともとの気質もだいぶ違う気がするし、顔はもちろん違うし、まったく別の人間です。誕生日が同じなだけで、中身まで同じ人間なんていないですもんね。

娘にAの話は伝えていないけれど、やっぱり密かに、私は娘を見るとよくAのことを思い出し、娘の誕生日を祝う時は心の中でAの誕生日もお祝いします。

娘が限りある命を大切に生きられるように。
人生を楽しむことができるように。
私が娘にとって、困ったときに頼れる存在でいられるように。
娘が「自分は愛されている」「どんなことがあっても大丈夫」と思えるように。
娘が家族や友人を大切に思い、助けられる人になるように。

Aの他界から8年経って、少しではあるけれど、自殺を止められなかった、Aを支えきれなかった自分を責める気持ちが薄まってきたように思います。まだ罪悪感は残っていますが、以前ほどではありません。

ただ、同じように悩んで苦しんでいる友人がいたら、全力で支えなきゃと思うのです。
そして、死んでしまうのは簡単にできるかもしれないけど、生きることは難しいと。

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Aは映画が大好きで、マイケル・J・フォックスが大好きで、映画制作や字幕制作に憧れていました。
私も同じで(好きな俳優はその時々で違ったけれど)、字幕制作に憧れていました。

私が字幕翻訳者を目指して本腰を入れて勉強を始めたのは、思い返せばAの死が大きなきっかけだったのかもしれません。

限りある人生、やりたいことがあるなら、全力でやってみよう。
Aも私もやりたかったことを、私がやってみよう。叶えてみよう。

Aの死を受けて数年経ったころ、そういう気持ちになりました。

今、私は字幕翻訳をお休みしていますが、この気持ちは変わらないです。
字幕翻訳に挑戦して本当によかったし、実際、夢だったハリー・ポッターの案件にも字幕翻訳者として関わることができて、嬉しすぎてAに心の中で報告しました。

まだまだ複雑な思いは残るし、心の中の声を出し切れていない、向き合いきれていない自分もいると感じます。
Aへの気持ちに向き合うことが自分の大切な深い部分につながっていると思うから、「もっと感情的に吐き出さなければ」とも思うけれど、まず、この場で少し気持ちを書き綴ることができたのは私にとって大きな一歩だと感じます。

家族を大切に、友人を大切に、自分の気持ちに正直に、毎日生きていることに感謝して生きていきたいです。
夫がこれを読んだら、「綺麗ごとばかり!」と言いそうだけど…

Aは今ごろ雲の上にいるのでしょうか。
どうか、天国で見守ってくれていますように。
Aがこの世でやってみたかったことを、私が少しでも実現・体験できますように。
Aが苦しみや悲しみから解放されていますように。
娘が人生を楽しめますように。

いつか私の命が尽きた時、Aに会えたらいいな。
その時、笑って泣いて、いろいろ話せたらいいな、と思います。

今年の9月26日も迫ってきました。
大切な人たちの誕生日、今年も大切に祝います。

最後に、Aを思い出す曲たちを。
Aを思い浮かべながらこの音楽を聞くと、心の深い部分が揺さぶられます。

”Now my heart feel like December, when somebody say your name. Cause I can't reach out to call you, but I know I will one day"

”あなたの場所から私が 見えたら きっといつか 会えると信じ 生きてゆく”

Aへの友情、愛、信頼、感謝を込めて。
自分の気持ちを吐き出す練習をしているウメ子でした。


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